帰省や旅行など家族で長距離のドライブをすることが年に何度かあり、その際は、私は高速道路を使います。

カーナビに目的地をセットすることが多いのですが、到着予想時間が表示されると、その時間に縛られてしまうことがあります(20~30代の時は特にそうでした)。

何とかその到着時間よりも早く着きたい、遅れたくない。何なら前回の同じ道を走った時よりも早く着きたい。新記録を出したい。と誰にも求められてもいない、無駄な戦いを始めて同乗者にとても嫌がられます。

と、、前置きはここまでにして、本題に入りたいと思います。

高速道路を長く走っている時、上記で触れた嫌いな自分をいさめながら、そして落ち着かせながら、良く思うことがあります。

「高速道路を走ること、その状況はキャリア形成に似ているなー」

最初は、20代の頃、渋滞にはまった時に思いました。

渋滞中、どんどん先に進んでいく、自分の隣のレーンの車が羨ましくなる。自分もそっちに行きたくなる。で、レーンを変えてみますが、いつの間にか、元々自分が走っていたレーンの車に追い越されたりする。一般道の方が早かったのではないか、なんて思いも過ったりする。

渋滞中でなくても、こんなことも良くありますよね。
追い越し車線を一生懸命走って、少しでも先を急ぐ。そして、パーキングエリアで手洗いなどの休憩をして、高速道路に戻ってみたら、だいぶ前に追い越した車とまた出会う(追いつかれている)。

「転職に似てるな」と思いました。

隣の芝が青く見える。より年収が上がりやすい道。昇進が早い道を選びたくもなる。でも、それは必ずしも、長いキャリアに渡ってずっと先行するということではない。

車を走らせていると、更にこんなことにも気づきました。

「そもそも、みんな目的地が違う。」

100キロ先を目指している車、1000キロ先を目指している車。当たり前です
が、ペース配分も違う。

「そして、出発地点も皆違う。」

一生懸命スピードを上げて、目的地に近づいたとしても、途中のインターチェンジから乗り込んできたよりスピードのある車に、一瞬で追い越されることもある。

「車のスペックも違う。」

私たちは同じ土俵にいると、あたかもみんなと同じようにできないといけないんじゃないか、なんて思ってしまいますが、みな経験もスキルも異なります。いつまでにどんな状態になってたいか、ゴールイメージも異なります。

この例えは、出産・育児というライフイベントがある女性のキャリアにも置き換えて考えられる気がします。もちろん育児休暇を取る男性も。女性のキャリアづくりについて会話すると「長期休暇の前にこれくらいの専門性や社内でのポジションを確立していると復帰後の10~20年を過ごしやすくなる」という意見もありますよね。これも、出発して最初の休憩までどこまで進んでおけばその後が楽になるか、なんて考えるのと似てるでしょうか(こじつけですが)。

もう少し枠組みを広く捉えてみると、高速道路を使わない選択をしている方もたくさんおられる。一般道。電車。新幹線などなど。

私たちは何度も何度も高速道路を使います。一度きりではありません。
その中で、車も変わり、同乗者も変わります。乗り方も変わるかもしれない。同乗者の存在により、目的地も変わるでしょう。

一回のドライブが、一つの会社生活なのかもしれません。一つの部署での経験なのかもしれませんし、一つのプロジェクトなのかもしれません。私たちができることは、目の前のドライブに集中すること。そして楽しむこと。先回りはできません。前に通った道だったとしても、季節によって景色は違うし、外の気温、気候、自分の体調、車の量、同じコンディションであることはおそらく一度もないはずです。

運転は楽しく、でもちょっと疲れます。眠くもなります。休憩も必要。でも、頑張って進まなきゃいけない時もある。一度降りても良いし。行くのを止めても良い。誰と比較するものでもなく、自分がセットした(可変的な、あるいはゴールの途中としての)目的地に、自分(と同乗者)を連れていく長い長い旅時です。

人生をマラソンに例えるケースも多いと思いますが、なんとなく私は「キャリア形成を高速道路を例に」時々思いに耽っています。「キャリア」という言葉は私にとっては分かりにくい言葉の一つです。ちなみに私の祖父は専業農家として、和牛を育てたり、米や野菜を作っていましたが、これもまた「キャリア」であって同じことが言えるのではないかと解釈しています。平たく言うと(仕事以外も含めた)その人の生き方そのものなのかもしれません。

皆さんはどう解釈・整理されていますか?是非教えて下さい!