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次世代リーダー

関連会社リーダーに訊く!第2回 ブラックライン株式会社 代表取締役社長 宮﨑 盛光氏 前編 「入った会社が2社破綻。組織に依存せず、自分の手でチャンスをつかみ、自身の力で勝負する大切さを学びました」

著者:JAPAN CLOUD

Japan Cloudやその関連会社の魅力、特徴をお伝えするべくスタートしたリーダーインタビュー。前回に続き、第2回はブラックライン株式会社 代表取締役社長の宮﨑 盛光氏です。

同社は2001年、米国・ロサンゼルスで創業。経理・財務分野の生産性・付加価値向上をDX(デジタルトランスフォーメーション)で実現する経理業務変革プラットフォーム「Black Line」を提供し、導入企業は130か国以上、約3900社に及びます。また、ガートナーが発表する「クラウド決算ソリューションのマジック・クアドラント」で4年連続でリーダーに選ばれるなど、この分野でのパイオニアと評価されています。

日本法人は2018年8月、設立。宮﨑氏は2021年2月6日より社長に就任しました。前職ではセールスフォース・ドットコムで常務執行役員などのポストを歴任し、クラウド型業務向けソリューションを多くの企業に提案し、関係を構築。チームマネジメントにおいても豊富な経験、知見を要している点などへの期待が、カントリーマネジャー就任の話につながりました。

そう聞くと順風満帆な人生を送ってきたようですが、さにあらず。新卒で入った会社、次に転職した会社もが破綻の憂き目に遭う波乱万丈な20代を送ったといいます。

今回もNGなし(!)で、山あり谷ありのキャリアから得た気づき、外資系企業トップを選んだ理由も包み隠さず公開します。


逆境をバネに「営業が厳しい」会社に身を投じる

――社長就任前のキャリアについて教えてください。入った会社、2社が破綻するという経験をお持ちと聞き、驚きました。

宮﨑 2回というのはなかなか珍しいかもしれません(苦笑)。1998年、新卒でノンバンク系のリース会社に入ったところ、半年後に会社更生法下に置かれる事態となりました。金融ビッグパンの少し前で金融機関が潰れるなんて思ってもみなかった時代です。最終的にはGEキャピタルの傘下に入り、私自身、英語習得の必要性を体感するような機会にもつながりましたが、会社更生法下にあっても債権回収には回らなければならない。世間からの手厳しい対応も味わいました。

2002年2月に入ったニイウスでは大手金融機関を担当する営業本部長を担いましたが、08年4月、債務超過で民事再生法下に置かれ、責任者として取引先へ謝罪行脚に回る日々を送ります。

この経験で強く意識し、今も自分の価値観の軸になっているのが「会社に依存することなく、自分でチャンスをつかみ、自身の能力、スキルで勝負する生き方を貫いていこう」ということです。

その一歩として、「もう一度、営業という大好きな仕事に集中できる環境に身を置きたい」「新しいフィールドでチャレンジしたい」という気持ちから、「営業が厳しい会社」とエージェントに紹介され、08年12月、入社したのがセールスフォース・ドットコムです。

当時のセールスフォースは社員100名ぐらいの会社で、日本での知名度はまだこれからという時期でした。

新たな道の選択に一抹の不安がなかったわけではありません。当時、まだ珍しかったインサイドセールスの取り組みも先駆けて実践しており、自分の力を試したいという強い思いから厳しい現場に身を投じることとなりました。


「人間は1人として同じではない」。チームマネジメントの重要性を知る

――営業には自信を持っていたものの、中堅企業向けのミッドマーケット部門の立ち上げを任された時は、なかなか成績が出ず苦労されたとか?

宮﨑 入社して2年目にトップセールスの実績を経て、マネージャーに昇進。新規市場の開拓を担うこととなりました。前職でも営業部門のマネジャーは経験していたものの、新規テリトリーの創出という勝算が読めない試みの中で、成績を達成するまでには4年を要しました。こんなに時間がかかったのは初めてのことで、正直辛かったですね。

しかし、私の信条は「逃げない」こと。様々な逆境を経験してきて、セールスフォースで営業の力を試そうと入って、個人では成果を出したけれど、次はマネジャーとしての力も立証したい。

一歩でも前へ前へとチームで仕事を進め、1年目で目標数値の75%、2年目で85%、3年目95%、4年目で100.6%と、一度も前年の数値を下回ることなく目標を達成できた時は本当にうれしかったですね。

――苦しい状況下、マネジャーとしてどうメンバーを鼓舞していったのでしょうか。

宮﨑 常に「今期は絶対達成しよう」という強い思いで臨むわけですが、年度途中で目標達成が厳しい状況に陥っても、「ここだけはクリアしよう」「この数値では負けないぞ」と、細かいKPI、セカンドゴールを数多く設けて、モチベーションが下がらないようなチームマネジメントを心がけていました。

その背景には、前職では28歳でマネジャーになった際の手痛い失敗の経験があります。当時の自分は営業に自信がある分、部下にも同様のレベルを求めてしまう。「自分ならできるのに、なぜできないんだ」と、営業目標を下回ってしまったメンバーに厳しい姿勢で臨むこともたびたび。ついに辞めてしまうメンバーが出て初めて、「これではいけない」と気づいたんです。

今でも、企業カルチャー醸成に際し注力していることは、人間は1人として同じではないということ。仕事への思いや生き方の価値観も違う。現職に就いた際、会社のゴール以前に、従業員一人ひとりが目指す人生としての成功やゴール、パーソナルゴールをヒアリングしたのも、その際の気づきがあったからこそです。

セールスフォースには12年間在籍しましたが、入った時は従業員100名の組織だったのが、辞めるころには4000名ぐらいの企業へと大きく成長しました。チームメンバーと“成長の痛み”を共有しながら、自身の成長と共に会社の成長に寄与できたというのは、かけがえのない経験だったと思います。

後編はこちらから

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